世銀への挑戦―落ちこぼれが人生をかけてー

自然災害の脆弱性と発展途上国の貧困に関して研究する国立大学院生(24)が主としてどのような日々を過ごしているかをまとめたブログ

無事に大阪から帰ってきました

 おはこんばんちは。皆さん、ご無沙汰しております。

 無事に昨日大阪から帰宅し、現在このブログを研究室にて書いております。

 大阪に行った目的としては、大学院の説明会です。まぁ、現在修士課程なのですが、「また修士課程いくのか?」とかいわれそうですが苦笑

 説明会については、結構あらかじめ調べた内容のことばかりだったので、少し残念ですね。そして、その説明会後は大勢のカップルを横目に「なぜ別れたのだろう」と自分に対して嫌悪感を抱いていました。まぁ、寂しさなんですかね、むしろ今でもその元カノのことは愛しているので、気持ちが伝わらないことが切ないですよね。そのせいか、最近優しくされたりすると涙が出てきます。酒を飲んで忘れる日々です、ここ最近は。はぁ、情けないですね。しかし、自分の頭の中には「夢を追うのか、女を追うのか」という一つの問いが浮かびました。(これについては今後の記事)

 説明会後、ホテルに行きチェックイン後、西成を観察したり、おでんをビール一缶という一回やってみたかった飲みをし、その後は中華系のカラオケスナックに。もちろん、こういうキャラではないのですが気分的に引き込まれました。

 そこでは熱燗を中国の女性と。そこで、お客さんの方が歌われていた中国語の曲(タイトル不明。歌詞ももちろん不明)。けれど、恋愛の歌だっていうのはすぐ気づきました。歌詞の内容の解釈があっているかどうかはわかりませんが、「会いたい、アイシテル」的な内容で元カノを思い、胸が苦しくなりました。あぁ、これが愛なんだなぁと。

 その翌日、すなわち昨日は阪大に行きました。阪大では、後輩に会いご飯をたべ、その後になんと、自分見てるyoutuberのチームの1人に遭遇。声はかけませんでしたが、有名人に会うという感覚」はこうなんだなぁと、なんかしみじみと。

 その後に夜ご飯はお世話になっている方にごちそうになりました。串カツとビールという最高の組み合わせ。(本当にごちそうさまです)。また、そのあとは今年のボジョレー・ヌーヴォーを。最高でしたね、おいしくて。その後に無事に帰ってきました。

 地下鉄がぎゅうぎゅう詰めで死にそうでしたが。あ、今回なんかまとまりないですね。まぁ、一言でいうとまた「大阪に行きます、その時はまたあの中国の方と飲みたいなぁ」としんみり思うのです。

 では、またsee you next time 

 あ、今の自分の気持ちを如実に表している曲を載せておきます。(え、誰得w)

 本日の名言: Let him who would move the world, first move himself

 訳:世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ


河島英五:時代おくれ


河島英五 酒と泪と男と女

自分が国際開発にこだわる理由

 おはこんばんちは。

 本日は「自分が国際開発にこだわる理由」について、生い立ちも含めて書いていこうと思う。

 そもそも国際開発とは、「(基本的には開発途上地域における)開発に関連して生起する諸問題の解決を目指す学際的な学問領域である。」と自分の師匠の本(詳しくは、『国際開発学入門』勁草書房、2009)に記されている。

 すなわち、開発途上地域の諸問題は数多くある。貧困、不平等、汚職、食料安全保障の問題、教育などほんとに多くある。しかし、その中で自分のテーマを決めることは容易なようで実は難しいと考えています

 なぜなら、国際開発学とはその学際的ゆえに自分の専門性にとらわれず学ぶ必要があるためになかなか専門性をつけることが難しい。加えて言うと、修士レベルの国際開発学はあまり問題解決に結びつかないのでは?」というのが自分の正直思うところである。そのため、国際開発の業界では修士2つ、いわゆるダブルマスターがざらに存在する。

 また、この点に関して言うならば自分は「国際開発」の学位に加えて、「経済学」の修士を取得することを検討している。この理由には、自分の現在の研究手法(定量かつ実証)が影響していますが、「経済学」の修士を取得することで理論的な研究を行えるようにするという自分の1つの狙いもある。

 また、もう一つの理由は留学に関しての準備という意味合いも込めている。ご存知の方もいるかと思うが、海外(特にここではアメリカの経済学の大学院博士後期課程を意味する)では最初の2年間はコースワークという「ミクロ、マクロ、計量経済学」の3つの科目を徹底的にやらされる。

 ここで成績がまずいと強制送還という悲運な末路が待っている。その末路が意味するところはいうまでもなく、博士後期課程には行けないことを意味している。基本的に、日本の博士課程は修論の成績がよければ合格することが多い。しかし、海外ではコアであるコースワークの成績が良くないと、まず博士課程まで進学することができない。

 そのため、日本の多くの経済学徒はまず大阪大学神戸大学東京大学一橋大学という一流大学の経済学の修士を取得したうえで進学する人が多い。また、海外ではアカデミックなバックグラウンドがないとそもそも受験資格が与えられないところが少なくない。そのため、修士(経済学)をとる価値は大いにあると考えています。

 

 さて話を戻そう。僕は現在修士2年(半年修了伸ばしました。)で順調(?)に行って2019年9月に修了を迎えることになりそうです。その後は、どうするかは未定です。ただ、現在考えているのはとある大学で半年研究生をして論文を1報出すことと前述のコアをしっかり勉強することを予定しています。その後は、2年間経済の大学院に行くか、1年間で修士を取り終えることのできる英国で学びたいなと考えております。

 いずれにせよ、自分は経済学の博士、厳密にいうならば海外での博士なのでPh.D.を取りたいと考えています目的は仕事に就くために学位が必要なためです。ちなみに、自分は研究者にはなるつもりは(当面)ありません。自分にとって、学位はエビデンスでしかなく、そのエビデンスを海外に貢献することを自分は第一に考えています。

  ではなぜ自分は「国際開発にこだわっているのか」。それは、自分は「人の役に立つ仕事がしたい」という信念を持っているからです。おそらく、これは自分の過去に由来していると自分は考えています。

 というのも、自分は幼少期に母親を亡くしています。当時の記憶はないですが、無心に小学校のころから医者になりたいと言っていたことを鮮明に覚えています。その後に、祖母を亡くしたときも「医者になりたい」といっていました。祖母を亡くしたときは、自分は高校3年生で、当時自分は文系を選択していたために医学部からは遠い立ち位置にいました。また、理数系が壊滅的にできなかった(今も経済数学には苦しんでいますが)のであきらめてしまいました。

 また、おそらく自分が「人の役に立つ仕事をしたい」と思う第2の理由には、自分が昔いじめられていたこともあり、自殺を考えていたこともありました。しかし、母のことを思うと死ねませんでした。こういう過去があるからか、自分は「承認欲求が強い」と、よく言われます。しかし、博士(Ph.D.)をとることはおそらく自分の中では、ここでいうような「承認欲求」と関係はないと思いたいです。(こればかりは自分の心に向き合わないと答えは出ないと考えています。)

 そして、泥沼の人生から這い上がってきている今現在幸運なことに文系の自分が「人の役に立つ仕事」ということで国際開発の仕事を見つけました。これは、おそらく自分の中では転職だと考えています。なぜなら、自分は現在いる大学の留学生と話すことが大好きだからです。たぶん、これが自分の生きがいですね、同期の日本人には排除されているので。

 しかし、私は知っています。「成功する人はみな孤独」だということを。

 ではではまたsee you next time. よければコメントお願いします。また、国際機関、国際開発、経済学などの勉強の相談にも乗ります。(恋愛相談以外、特に文系の大学院進学について)。良ければ気軽に連絡してきてください。困っている人の力になるために、今日も自分は前を向いて、一生懸命、悔いなく生きていきます。

 

 今日の名言「成功とは成功するまで決してあきらめないこと」 

 「行動は必ずしも幸福をもたらすものではない、けれど成功している者の多くは行動している」

「雑談」「僕が人生で大切にしていること:その1」

 おはこんばんちは。

 今日は雑談を書いていこうと思います。てか、最近寒くなってきましたね。

 皆さんは体調等壊されてないでしょうか?

 そういえば、私事ながら自分は来週大阪に行きます。とあるイベントに参加するので、来週の今頃は新幹線の中ですね。

 

 今日は(雑談とか言いながら…)自分が人生で大切にしていることを書いていこうと思う。

 皆さんは、「自分がいつ死ぬのか、わかっていますか?」。おそらく、ほとんど多くの人は自分がいつ死ぬのかわからない人がほとんどだと思います。

 けれど、もし死ぬ日が事前にわかっていたら「今、どこで何をしますか」。

 

 自分は朝起きるたびに感動しています。え、なににって?朝が来たことに対してです。すなわち、自分は常に「今日が人生最後の日」だということを意識しながら生きています。

 そうすると、自然に「後悔はなくなります」。具体例をあげましょう。

 あなたには好きな人がいます。しかし、その男性ないし女性が不運なことに亡くなってしまったとします。さぁ、どうしますか?

 おそらく、「好きだという思いを伝えればよかったな」と思うはずです。そのため、「いかに後悔なく生きることができるか」という問いに対しては(極論ですが)「今日が人生最後の日だと思うことで、後悔は多少減ると思います」。

 

 あれ?今回短いですねw。まぁ、また今日はこの辺で see you next time. 

 

 本日の名言「止まりさえしなければ、ゆっくりでも進めばいい」

 「挫折を経験したことのない者の多くは、何も新しいことに挑戦しなかった者だ」

 

「本物を知らなければ価値は生み出せないと思う本当の理由」vol.3

 好評かどうかは定かではありませんが、本稿もはやくも3項目。

 おはこんばんちは。

 

 最近私がはまっていることがあります。それはなにか?。それは、同期とLINEかなんかで電話することです。まぁ、早い話お互いの近況報告ですよね。

 「げんきー?最近どういう仕事してるの?」とか聞くと多種多様で実に面白いです。自分の周りは、院に行かずに就活した同期の比率の方が圧倒的に高いので実に様々な話を聞けます。

 例を挙げると、警察官の同期のやりがい、または地方公務員とやりがい、はたまたJA職員、銀行員等々。実に様々でめちゃくちゃおもしろいです。

 しかし、みんなに言われることがあります。それは、単純に「院で何してるの?研究テーマは?」等々。そのたび、私は院では留学生のお手伝いや、自分の研究してるよ」と答えてます。学部時代と自分は少し専門性を変えたので、人によっては、「なぜ、それを選んだのか」等々、大変興味深く聞いてくれる方もいます。

 学部時代は、末廣昭先生の『新興アジア経済論 キャッチアップを超えて』をベースにアジアの工業化とアジアのマクロ経済をベースに勉強してきた自分ですが、今は専門を変えて、農村開発を勉強しています。

 理由は、当初自分に自信がなく経済プログラムを主専攻に取らなかったことが一因です。ちなみに、経済プログラムは副専攻という形ではとりました。なお、現在の主専攻は、農村プログラムです。(なお、身バレをしないようプログラム名を編集しています)。

 さて、先日同期と話した際に聞かれたことがあります。それは、「修了後どうするの」ということです、もちろんですよね。遅かれ早かれ、社会に出なければなりません。

 でも、この業界すなわち、国際系の業界で本格的にはばたくのは、20代後半から30代なのです。すなわち、日本でいうところの学部新卒採用といった22、あるいは23歳に会社に入るのとでは、かなり事情が異なります。

 また、一生会社にいるということもあれば、転職することもあるかもしれません。けれど、自分の業界すなわち国際開発(協力)業界は転職が普通なのです。かつ、それに加えて、現場いわゆる勤務場所も変わり、時には仕事の内容が変わるので実に様々な仕事が経験できます。(飽き性の自分にとっては素晴らしい!!)

 そして給与面もなかなかにいいです。けれども、自分はお金のために働くのは嫌です。経済学を少しでもやった方ならわかると思いますが、自分にとってお金は(財を手に入れるための)「交換手段」なのです。

 

 そして、自分のこのブログを通じて伝えたい「価値理論」の話に戻しましょう。

 本日国連で働かれている方にお話をお伺いした際に、「とりあえず動け」とおっしゃっていただきました。当然ですよね、文系の院のほとんど多くの方は納得してただけると思うのですが、毎日英文読むのは正直しんどいです。新しい気づきが得られるとわかっていても、とてもしんどいです。

 ちなみに、英語を読むのがしんどいのではなく、「既存のものに対して自分がいかに貢献できるか、あるいは先行研究にどういった貢献(主にはここでは学術的貢献を指す)ができるのか」を自分の頭で考えるのは意外と大変です。

 

 それを円滑に行うためには、院生同士の「ディスカッション」が必要不可欠です。しかし、自分のように留学生とだけ仲がいいと、こういうときに自分の考えをまとめる際に基本的に「自分の頭の中で一人で考えてしまう」のです。おかげで、考える力が身につきました。(考える癖もついてきました。)←おかげで考えすぎといわれます…笑

 もちろん、留学生の力を借りて、英語でのディスカッションをするときもあります。(おかげで、入学時と比べて英語はかなり伸びました)。

 しかし、いざというときは本当に困っています。その際には自分は学会を通じて出会った人と意見や情報を共有しています。(もし、メンバーになりたいかたいましたら連絡ください。)

 でも、こうしたこと(もちろんこのブログを始めたことも)自分が動いたからです。今は、評価されなくてもやがて、その行動をみた誰かがあなたのことを応援してくれてることでしょう。

 そのため、「夢に近づくためには動け!そして誰よりも早く行動しましょう!!」

 では、またsee you next time. 

 

 本日の名言:「人は死んだことに後悔しない。ただ、後悔するのは死ぬ間際に自分がこの世界に対して何もできなかったと思うこと、それすなわち、後悔なり。」

「特集記事」親に会って色々な話をしました

 おはこんばんちは。この記事は、急遽今週の月曜に親に会って色々な話をしたので、その話のまとめのような記事です。

 それは今週の月曜。いきなり地元から両親が自分の住んでいるところに来るとこと。それもそのはず。先日親に「半年修了を伸ばしていいか」をメールで聞いていたいましたが親からのレスポンスがなく、「あぁ、これ絶対怒られるやつ」と内心身構えていました。

 むしろ、親が急遽来るなんて、「なんて切羽詰まった環境なのだろう」なーんて、変に落ち着いている自分もいました。けれど、いい意味でも悪い意味でも助かりました。なぜなら、その昨日つまり日曜に元カノから「ごめんなさい。彼氏ができました。」という報告を受け、かなり落ち込んでいたからです。(今も落ち込んでいますが…)

 悪い意味では、昨日のプレゼンの準備を月曜にしようと思っていたので予定は総崩れです苦笑。なお彼女と別れた理由は、記事にするかどうか不明ですが、もしするのであれば「大学院入学して仲間と彼女と幸せを失った男」のようなタイトルで執筆したいと思っております。

 そして親と話したことなのですが、まぁ、一言で親の言っていたことをまとめると「価値あるお金の使い方」をしなさいとのこと。つまり、親は半年修了を快諾?(orしぶしぶ承諾)してくれたのです。

 まずは、一安心です。ところが、その際に両親に言われたのは「一年間留年したら?」とのこと。確かに、親の言っていることは一理あります。日本社会において9月卒業は珍しいので、なかなか職探しという点では難しいといえます。けれど、自分はそんなことを気にしていません。

 むしろ、「伸ばしていただいた半年をどのように有効に使うか?」の方に自分は関心があります。また、国際機関との求人等は盛ん(ほぼ通年:もちろん機関にもよりますが)に行われているのでそんなに修了時期は気にしていません。

 けれども、「この半年間をどのように使うか」という一つの明確な答えは、英語(or+αで仏語)を最大限伸ばすということです。これは、今後「話す英語」から「書く英語」に焦点を置いてやっていきたいと考えています。

 この理由として国際機関は「読む、話す」よりも「書く英語」が重要視されてるためです。(もちろん、4技能全部大事ですが…)

 そして、第2にはパソコンを使いこなせるようになるということです。これは、パソコンの使い方もそうなのですが、同時にSTATA、R、SPSSといった統計ソフトを使いこなすことも考量しています。

 なぜかというと、自分は研究に関してはアイデアは浮かぶのですが、そのデータをどのように分析するかがまだ正直弱いです。けれども、この点は現在勉強しているので、あとは統計ソフトを使いこなし、要領よく経済分析できるようになりたいからです。

 そして、両親に最後に言い残すことがないかと聞かれたので、「農村開発」(主として経済学)を学びに「米国留学したい」といったところ反対されました。(無念)。

 まぁ、理由はいくつかあるのですが…。(この点はまた今度)まぁ、簡潔に言うと主に自分の最大の敵すなわち数学ですねw

 

 ではではまたsee you next  time

 本日の名言「Given your permission, to lose gurantees a loss」

  訳)自分に負けを許せばそこには敗北が待っている

「本物を知らなければ価値は生み出せないと思う本当の理由」vol.2

 みなさん、おはこんばんちは。

 みなさんはご自身の価値をどういう風にとらえていますか?

 もちろん、日本語的には価値の「価」は価格の「価」。広辞苑的には、「数値」あ、「値」・・・つまり何らかの形で数値化できるのではないかと考えてしまうのは僕だけでしょうか?

 

 しかし、この問い「価値をどういう風にとらえているか」というに対して明確な答えを自分は持っていません。なぜなら、「個人的に価値は数値化できない」と考えているためです。

 けれども、「価値」は先日語らせていただいたように本物に触れることがなければ、そこから先は自分一人で何か新しいものを作り出せません

 

 研究においてもこのことは同様のこともいえます。

 1人でやることが厳しい、また一人でやれる範囲(キャパシティ)が限られているので、最近は共同研究の割合が増えているといえます。

 また、この背景には以下の二点が言えると思います。

 まず第一に、現代の社会は学融合または(学際的とも)なアプローチを必要とするからです。これは一般的に、現代の社会課題が様々なかたちで進展するなかで一つのアプローチで対処することに対して限界が来てしまったこと。

 この点に関して例をあげましょう。

 自分は国際開発を学んでいるのですが、国際開発は学際的なアプローチを必要とする学問の典型的な例です。

 たとえば、発展途上国の一国(どこでもいいです)を思い浮かべてください。そこには、今日明日食べることに困っている人たちがたくさんいます。

 仮に、今その人たちに現金給付(一日分)したとします。すると、どうなるでしょうか?

 おそらく、その人たちは食料を買うことができるでしょう。けれども、これでは明日明後日とまた貧困に陥ってしまいます。

 このサイクルを遮断するためには、その人たちにお金の有意義の使い方を教育する必要があります。また、仮にお金の使い方を講義するといっても発展途上国の多くは今だ男性中心の社会が多かったりし、女性の権利(しばしばエンパワーメントともいう。)が欠如していたりいます。これは、社会や文化人類学の領域ですね。

 

 もう説明しなくてもイメージがわいたと思いますが、貧困問題は経済的な処方箋では解決しないのです。だからこそ、21世紀の今でも発展途上国の貧困問題に対しては多くの国際機関が手を取り合ってお互いの長所を生かし、短所を互いにカバーしあい支援をしているのです。

 

 第二に、一人でやれる範囲は決まっています。例えば、経済学でも一般に理論経済といわれる、いわゆるミクロ経済学マクロ経済学を専門にする人もいれば、統計学を中心に経済分析や、より現実的な説明ないし政策提言に生かすために計量経済学者のような統計学者もいます。

 

 そのため互いの研究の利点や、そこでの経験などを生かし、不足している点を補い合う。これが近年様々な研究で共同研究が増えている要因の1つでもあります。

 

 さて、話を「価値」の話に戻しましょう。

 ここまで読んできて察しの良い方はもう結論が見えていると思います。

 

 すなわち、お互いの利点を生かしあうということは、その個人個人がプロフェッショナルという領域に達している必要があります。

 すなわち、個人個人がその専門領域で「価値」を作り出せないといけないのです。

 つまり、その領域に達するにはそれ相当の努力と覚悟が必要です。

 けれども、若いうちはその技術すなわちノウハウを年長者から学ぶ、またはその人の下でアシスタントなどの経験を積むことにより、そこで培った経験、ノウハウ、またコネクション等を磨く必要があります。

 

 そのためには若いうちには様々なことに挑戦し、色々な人に出会い価値観を広げ、色々な人に知ってもらう必要があります。現に、数年前から私は初めて会う人に対していつも心掛けていることがあります。それは、いたって単純で「初めてあった人に対して自分はどのような貢献ができるか」ということである。

 

したがって、まずは行動を起こさなければなりません。

ということで研究に戻ります。ではまたsee you next time 

 

 本日の名言「夢を叶えるということは孤独と寂しさに打ち勝つことである」

「本物を知らなければ価値は生み出せないと思う本当の理由」vol.1

 おはこんばんちは。

 今日から連載で「本物を知らなければ価値は生み出せないと思う本当の理由」と題し、記事を書いていこうと思う。

 まず、本物とは何か?本物というからには偽物もあるんだよね?そう思ったあなたそうです。中には、偽物も存在します。

 自分を例にあげましょう。自分は高校大学と割と平凡以下(学力などの能力)の学生でした。しかし、その時に見たのは偽物と本物の2人の対照的な大人たち。

 たとえば、偽物はなにか見栄えは確かにいいが、何かどことなく「うまく繕う」という心や行動がバレバレです。

 しかし、本物は違います。本物は、いかなる時も冷静かつ、どんな平凡なものに対しても新たな価値を作り出すことができます。

 たとえば何もとりえのない学生に対して+αで価値を作り出すことができます。もちろん、その学生の本人の努力も必要不可欠なのですが…

 けれども、そうした人には少なからず「自頭」すなわち、その個人は潜在能力を有しているといえそうです。しかし、どんな人でも努力さえすれば人生は変わります。

 現に、中学高校とこれといって努力しなかったがゆえに人生何度もつまづいてきました。(今もつまづきますが…w)

 けれども、本当に大学のときに我武者羅に努力した結果今があると胸を張って言えます。そして、私は思うのです。何も価値のなかった自分が、本物の価値に触れた、あるいはそうした人を目にすることや、またその人の生い立ちや、その人のいる環境に触れると人生が180度変わってしまうことを。

 幸いなことに、現在自分は今現在大学院生として、日々研究に従事していますが、本物のプロフェッショナルの先生に出会ことができ、今後もその人を生涯、自身の分野である国際開発学の師匠としてご指導を仰いでいきたいとおもいます。

 では、またsee you next time 

 

 本日の名言「今を一生懸命になれないやつに明日や夢を語る資格はない」