「本物を知らなければ価値は生み出せないと思う本当の理由」vol.2
みなさん、おはこんばんちは。
みなさんはご自身の価値をどういう風にとらえていますか?
もちろん、日本語的には価値の「価」は価格の「価」。広辞苑的には、「数値」あ、「値」・・・つまり何らかの形で数値化できるのではないかと考えてしまうのは僕だけでしょうか?
しかし、この問い「価値をどういう風にとらえているか」というに対して明確な答えを自分は持っていません。なぜなら、「個人的に価値は数値化できない」と考えているためです。
けれども、「価値」は先日語らせていただいたように本物に触れることがなければ、そこから先は自分一人で何か新しいものを作り出せません。
研究においてもこのことは同様のこともいえます。
1人でやることが厳しい、また一人でやれる範囲(キャパシティ)が限られているので、最近は共同研究の割合が増えているといえます。
また、この背景には以下の二点が言えると思います。
まず第一に、現代の社会は学融合または(学際的とも)なアプローチを必要とするからです。これは一般的に、現代の社会課題が様々なかたちで進展するなかで一つのアプローチで対処することに対して限界が来てしまったこと。
この点に関して例をあげましょう。
自分は国際開発を学んでいるのですが、国際開発は学際的なアプローチを必要とする学問の典型的な例です。
たとえば、発展途上国の一国(どこでもいいです)を思い浮かべてください。そこには、今日明日食べることに困っている人たちがたくさんいます。
仮に、今その人たちに現金給付(一日分)したとします。すると、どうなるでしょうか?
おそらく、その人たちは食料を買うことができるでしょう。けれども、これでは明日明後日とまた貧困に陥ってしまいます。
このサイクルを遮断するためには、その人たちにお金の有意義の使い方を教育する必要があります。また、仮にお金の使い方を講義するといっても発展途上国の多くは今だ男性中心の社会が多かったりし、女性の権利(しばしばエンパワーメントともいう。)が欠如していたりいます。これは、社会や文化人類学の領域ですね。
もう説明しなくてもイメージがわいたと思いますが、貧困問題は経済的な処方箋では解決しないのです。だからこそ、21世紀の今でも発展途上国の貧困問題に対しては多くの国際機関が手を取り合ってお互いの長所を生かし、短所を互いにカバーしあい支援をしているのです。
第二に、一人でやれる範囲は決まっています。例えば、経済学でも一般に理論経済といわれる、いわゆるミクロ経済学やマクロ経済学を専門にする人もいれば、統計学を中心に経済分析や、より現実的な説明ないし政策提言に生かすために計量経済学者のような統計学者もいます。
そのため互いの研究の利点や、そこでの経験などを生かし、不足している点を補い合う。これが近年様々な研究で共同研究が増えている要因の1つでもあります。
さて、話を「価値」の話に戻しましょう。
ここまで読んできて察しの良い方はもう結論が見えていると思います。
すなわち、お互いの利点を生かしあうということは、その個人個人がプロフェッショナルという領域に達している必要があります。
すなわち、個人個人がその専門領域で「価値」を作り出せないといけないのです。
つまり、その領域に達するにはそれ相当の努力と覚悟が必要です。
けれども、若いうちはその技術すなわちノウハウを年長者から学ぶ、またはその人の下でアシスタントなどの経験を積むことにより、そこで培った経験、ノウハウ、またコネクション等を磨く必要があります。
そのためには若いうちには様々なことに挑戦し、色々な人に出会い価値観を広げ、色々な人に知ってもらう必要があります。現に、数年前から私は初めて会う人に対していつも心掛けていることがあります。それは、いたって単純で「初めてあった人に対して自分はどのような貢献ができるか」ということである。
したがって、まずは行動を起こさなければなりません。
ということで研究に戻ります。ではまたsee you next time
本日の名言「夢を叶えるということは孤独と寂しさに打ち勝つことである」